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釧路地方裁判所 昭和41年(わ)257号 判決 1968年3月29日

主文

被告人ら両名は、いずれも無罪

理由

第一被告両名に対する本件公訴事実および罪名

一、公訴事実

被告人北島敏は漁船第八北島丸(九・二四トン)を管理して漁業を営むもの、被告人山本昭は、被告人北島敏に雇われて、右北島丸の船長兼漁撈長として稼動していたものであるが、船員東忠信、同前田和夫、同大高嘉昭と共謀のうえ、北海道知事の許可を受けないで、昭和四一年八月二一日午前一〇時ごろから、同日午後四時ごろまでの間、クナシリ島ケラムイ岬北東五マイルの海域において前記北島丸を使い、ほたてけた網を投網してこれを曳きほたて貝約八〇〇キログラムを採捕し、もつて無許可の小型機船底曳網漁業を営んだものである。

二、罪名および罰条

漁業法違反。

刑法六〇条、漁業法一三八条六号、六六条一項。

第二当裁判所の認定した事実

被告人北島敏は、父北島茂基名義の動力漁船第八北島丸(九・二四総トン)を管理し、被告人山本昭を船長兼漁撈長として同船に乗せ、同被告人をして昭和四〇年四月頃よりほたて漁期間中ほとんど毎日クナシリ島沿岸において、北海道知事の許可を受けないでほたて貝を採捕せしめていた。

被告人山本は、昭和四一年八月二一日も被告北島にほたて漁に出漁することを伝えた後、甲板員として東忠信、前田和夫を、機関士兼甲板員として大高嘉昭を同船に乗り組ませ、根室港を出港し、クナシリ島沿岸の漁場におもむき、同所において、同日午前一〇時過頃までの間に、ほたてけた網を投げ入れて海底を曳きほたて貝を採取する方法でもつて約八〇〇キログラムのほたて貝を採捕した。この日操業した海域はクナシリ島ケラムイ崎北東五カイリ(北緯約四三度四三分、東経約一四五度三六分)付近の海域でクナシリ島の沿岸線より約二五カイリのところであつた。このことは被告人山本がレーダーにより確認していた。

被告人山本および前記三名の船員はいずれも、第八北島丸がほたてけた網漁業を行うことについて北海道知事の許可を受けていないことを知つていたのである。

第三証拠<省略>

第四公訴棄却の主張に対する判断

弁護人らは、被告人らがほたて貝を採捕し無許可で小型機船底びき網漁業を営んだ海域は、わが国が日本国との平和条約(以下単に平和条約という。)二条C項によつて領土権を放棄した千島に属するクナシリ島の領海内であり、そこで行なわれた被告人らの所為に対しては日本国の裁判権は及び得ないから、刑事訴訟法三三八条一号に従い、本件公訴は棄却されるべきであると主張する。

しかしながら、根室市長職務代理者根室市総務部長寺嶋伊弈雄作成の被告人北島敏に関する身上調査照会書に対する回答書、別海村長山崎藤作作成の被告人山本昭に関する身上調査照会書に対する回答書、被告人北島敏の昭和四一年九月八日付検察官に対する供述調書(丁数一二のもの)、および被告人山本昭の昭和四一年八月二一日付司法警察員に対する供述調書(丁数三のもの)によれば、被告人らの両名がいずれも日本国の国籍を有する日本国民であることは明らかであるから、被告人らに対しては、裁判権の根拠となる日本国の対人的統治権が及んでおり、しかも被告人らはいずれも現在根室市内に住所を有しているのであるから、日本国が被告人らに対し裁判権を行使するにつき支障となるようなものは何も存在しない。

したがつて、公訴棄却をすべきであるとする弁護人らの右主張は、採用できない。

第五漁業法一三八条六号、六六条一項違反罪成否についての判断

一、被告人らの本件公訴事実記載の各所為が漁業法一三八条六号、六六条一項違反罪を構成するか否かを考えるにつき、まず同法条の適用をみる海域の範囲について以下検討する。

漁業法六六条一項は、「中型まき網漁業、小型機船底びき網漁業、瀬戸内海機船船びき網漁業又は小型さけ・ます流し網漁業を営もうとする者は、船舶ごとに都道府県知事の許可を受けなければならない。」と規定しており、その趣旨は、限られた漁場と水産資源に対し、漁船の性能の向上、漁業技術の進歩の著しい同条所定の漁法による自由な漁獲を許すとすれば、たちまち漁業秩序が混乱し、零細漁民はますます零細化するとともに、水産資源も遠からず枯渇することが憂慮されるので、漁業調整という行政上の目的から、日本国の統治権に服する者に対し、同条所定の漁法による漁業を一般的に禁止し、都道府県知事の許可を受けた者に限つてその禁止を解除したものである。ところで、この一般的禁止の効力がいかなる水面に及ぶかについては同法条に直接規定がないので、漁業法の総則規定であり、この法律の適用範囲を定めている同法三条および四条、さらには同法六六条一項の合理的解釈により確定する必要がある。(唯ここでは本件に直接関係をもつ日本国領海外の海面につきどこまで効力が及ぶかの問題に限つて論及する。)

まず、漁業法三条、四条であるが、そこでは「公共の用に供しない水面には、別段の規定がある場合を除き、この法律の規定を適用しない。」「公共の用に供しない水面であつて公共の用に供する水面と連接して一体を成するものには、この法律を適用する。」と規定する。しかし、右の公共用水面あるいは公共水面と連接一体をなす非公共用水面との用語は必ずしも一義的ではない。したがつて結局は漁業法の諸規定の目的性格を勘案してその意味内容を決さねばならないのであるが、漁業法は、「漁業生産に対する基本的制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によつて水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図る目的」(同法一条)をもつて、漁業権および入漁権、指定漁業、漁業調整、漁業調整委員会および中央漁業調整審議会ならびに内水面漁業などに関し規定しており、右のうち漁業権等の権利の設定については、日本国の統治権が現実に及ぶ範囲(外国の統治権と競合的にしろ日本国の統治権が及ぶという意味において公海上も含む。以下同じ。)に限られることは当然であるし、指定漁業、漁業調整においても、漁業調整の目的等の行政上の目的等の行政上の目的から、該当漁業を営もうとする者は許可を受けなければならないとする外諸種の制限、禁止、指示命令をなしうることを規定していることに鑑みれば、日本国の統治権が現実に及ぶ海面を規定の対象範囲として予定しているとみるのが相当である。したがつて右の公共用水面もこれと連接一体を成す非公共用水面も日本国の統治権内の水面に限られるものとみるべきである。

もつとも右の如き見解に対し、しかも特に漁業法六六条一項に関し、許可の面からすれば日本国の統治権内にあることを必要とするが、同法所定の漁業の一般的禁止の面では統治権に拘束されるものではないとの反論も考えられないではなく、又漁業調整の目的や漁業という特殊性より日本国の統治権の及ぶ範囲外においても一般的禁止をすることに充分な妥当性を認めえない訳ではないが、行政上の目的をもつて制定された漁業法の場所的適用範囲は、前述の如く、日本国の統治権の現実に行使されうる範囲内に限られると解すべきであつて、同法六六条一項についても、右の範囲以上にその効力を及ぼす旨の特段の定めがないのであるから、右の妥当性をもつて一般的禁止の範囲のみを特に広く解することはできないものといわねばならない。

次に、同法六六条一項の規定自体からする同条項が適用をうける海面の範囲の制限として、同条項が規定する漁法からみて沿岸漁業の調整をその目的としていることが明らかであるから、その目的からの制限が存する。即ち同法六六条一項の一般的禁止は沿岸漁業の操業海域とみなされる海面に限られるのである。又それだからこそ右禁止の解除を都道府県知事の許可に懸らしめているのである。

以上考察したごとく、漁業法一三八条六号、六六条一項により処罰を受けるのは、現実に行使しうる日本国の統治権が及んでおり、しかも沿岸漁業の操業海域とみなされる海面において、都道府県知事の許可を受けないで、同法六六条一項所定の漁業を営んだ場合であると解するのが相当である。

二、前記認定のとおり、被告人らがほたて貝約八〇〇キログラムを採捕し、無許可で小型機船底びき網漁業を営んだ海域は、クナシリ島ケラムイ崎北東五カイリ(北緯約四三度四三分、東経約一四五度三六分)付近の海域で、クナシリ島の沿岸線より約二・五カイリのところであり、一般に沿岸漁業の操業海域とみなされる海面である。ところで領海の幅員については、一九三〇年国際連盟の主催の下にヘーグで開催され、日本国も参加した国際法典編纂会議の第二委員会において、各国政府が表明したところによれば、三カイリ又はそれ以下でもよいとするのはギリシア一国にすぎず、その他の諸国はいずれも三カイリ以上の幅員を要求しており、日本国も一八七〇年に勃発した普仏戦争に対する中立宣言の中で三カイリを宣言して以来、その主張を維持しているのであつて、少なくとも三カイリの幅員をもつて領海とするということは、国際社会において確立した法原則であるということができる。そうすると、被告人らが無許可でほたて貝を採捕した海域はクナシリ島の領海内に属するといわねばならないので、果してこの海域に対し日本国の統治権が現実に及んでいるかどうかを、次に検討しなければならない。

この点に関して、平和条約二条C項は、「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定しているので、日本国は、平和条約によつて、エトロフ島およびクナシリ島のいわゆる南千島を含めて千島列島全島の領土権を放棄したのではないかとの疑いも存するのである。しかしながら、日本国政府は右にいう放棄した千島列島の中にはエトロフ島およびクナシリ島の南千島は含まれていないと主張しており、この点が国際間、特にこれらの諸島を現に占有しているソヴィエト社会主義共和国連邦(以下ソ連邦と略称する。)との間で、紛争事項となつているということは公知の事実であるのであるが、この点に関する判断はさて措き、ソ連邦により現実に占有されているクナシリ島の法的地位について、考察を進めることとする。

第二次世界大戦が末期になつた昭和二〇年七月二六日、アメリカ合衆国、「グレートブリテン」国、および中華民国の三国首脳によつて、日本国軍隊に無条件降伏を要求する対日ポツダム宣言が発せられ、ソ連邦は同年八月九日日本国に対し、連合国側に参戦して満洲に侵入すると同時に右ポツダム宣言に加入した。日本国政府は同月一四日ポツダム宣言を受諾することを決定して、同日おそく連合国にこの旨を回答したため、停戦が成立することになつた。次いで同年九月二日東京湾に入つたアメリカ合衆国太平洋艦隊の旗艦ミズーリ号において、日本国の代表が正式の降伏文書に署名し、ここに日本国の降伏が正式に成立した。ポツダム宣言は七項において、「右の如き新秩序が建設せられ且日本国の戦争遂行能力が破砕せされたることの確証あるに至る迄は連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は吾等の茲に指示する根本的目的の達成を確保する為占領せらるべし」と規定し、降伏文書は、八項において、「天皇及日本国政府の国家統治の権限は降伏条項を実施する為適当と認める措置を執る連合国最高司令官の制限の下におかれるものとす」と規定していた。これらの規定により、日本国は連合国の占領軍により全面的に占領せられ、日本国政府は降伏条項の実施に関して連合国最高司令官の権限の下に立つことになり、この限りにおいて、日本国政府の統治権は極めて重大な制限を受けることになつた。もつとも連合国最高司令官の権限の下に立つといつても、日本国政府の存立が全く否定されたわけではなく、場合によつては連合国最高司令官が直接に管理に必要な措置をとりうる権限を有することを留保し、かつ降伏条項の実施が有効に行なわれる限りにおいてであるとはいえ、日本国政府は連合国によつて定められた領域に対し、統治権を行使することができたのである。かようにして、連合国による日本国に対する占領・管理の形態は、多少の曲折を経つつも、間接管理を原則としていたということができる。

ところで、日本国が降伏文書に署名した同じ昭和二〇年九月二日、連合国最高司令官は一般命令第一号(陸、海軍)を発し、その中で「一、帝国大本営は、勅命に依り且勅命に基く一切の日本国軍隊の連合国最高司令官に対する降伏の結果として、日本国国内及び国外に在る一切の指揮官に対し、その指揮下に在る日本国軍隊及日本国の支配する軍隊をして敵対行為を直に終止し其の武器を措き現位置に留り且左に指名せられ又は連合国最高司令官に依り追つて指示せられることあるべき合衆国、中華民国、連合王国及「ソヴィエト」社会主義共和国連邦の名に於て行動する各指揮官に対し無条件降伏を為さしむべきことを命ず。指示せられる指揮官又は其の指名したる代表者に対しては即刻連絡すべきものとす。但細目に関しては連合国最高司令官に依り変更の行わるることあるべく、右指揮官又は代表者の命令は完全に且即時実行せられるべきものとす」とした上、「(ロ)満洲、北緯三十八度以北の朝鮮、樺太及千島列島に在る日本国の先任指揮官並に一切の陸上、海上、航空及補助部隊は、「ソヴィエト」極東最高司令官に降伏すべし」と宣言した。この一般命令に従い、ソ連邦は千島列島を合法的に占領したのであり、右にいう千島列島の中からエトロフ島およびクナシリ島の南千島列島を除外しなければならない理由は全く見出しえない。更に連合国最高司令官は、昭和二一年一月二九日日本国政府に対し、「若干の外辺地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」を送り、その中で、「一、日本国外の総ての地域に対し、又その地域にある政府役人、雇庸員その他総ての者に対して、政治上又は行政上の権力を行使すること、及びその行使を企てることは総て停止するよう日本帝国政府に指令する。」とし、「三、この指令の目的から日本という場合は次の定義による。(中略)日本の地域から除かれる地域として(中略)(C)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島」として、「五、この指令にある日本の定義は、特に指定する場合以外、今後当司令部から発せられるすべての指令、覚書又は命令に適用せられる。」と述べている。そしてここにいう千島列島の中に南千島が含まれることは、そのC項全体の規定の仕方および千島列島に対するソ連邦の占領の経緯に照らし、明らかなところである。この覚書が発せられたことにより、これ以後日本国政府は南千島列島に対し、法的にも前叙のような制限された意味における統治権すら行使することができなくなつた。

昭和二六年九月八日サンフランシスコにおいて、日本国と、ソ連邦などを除く主要連合国との間で平和条約が調印され、昭和二七年四月二八日その発効をみた。ソ連邦はアメリカ合衆国の招請に応じてサンフランシスコ講和会議には参加したが、結局平和条約の内容に不満があるとして、これに調印しなかつた。したがつて、日本国とソ連邦との間では、右平和条約が発効した後においても依然として法的な意味における戦争状態が継続していたことになる。その結果は、仮に平和条約二条C項により、日本国が南千島を含む千島列島全体を放棄したのだとすれば、その帰属を詮索するまでもなく、日本国が南千島に対し統治権をもたないとみざるを得ないこと当然であり、あるいは仮に南千島は平和条約二条C項により日本国が放棄した千島列島に含まれておらず、依然として日本国の領土であるとするならば、前記一般命令第一号が発せられた後において連合国間で占領地域に関する変更がなされていないから、平和条発効後においても、南千島に対しソ連邦は、連合国により認められたソ連邦による戦時占領を継続しているということになり、日本国政府は、平和条約が発効したにもかかわらず、南千島に対し統治権を行使することができないわけであつて、いずれにしても日本国はクナシリ島の領海内に現実に統治権を行使しえないといわねばならないのである。

右の結論は、昭和三〇年一月二五日のドムニツキー文書で始まり、長くかつ困難な過程を辿つた末、昭和三一年一〇月一九日成立し同年一二月一二日此准書交換により正式に発効をみた「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」(以下日ソ共同宣言と略称する。)によつても左右されるものではない。けだし日ソ共同宣言は、その一項において、「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の戦争状態は、この宣言が効力を生ずる日に終了し、両国の間に平和及び友好善隣関係が回復される。」と規定しているので、従前継続していた日本国とソ連邦との間における戦争状態は、日ソ共同宣言が発効した日に法的に終了し、かつ日ソ間の国交が回復されたことになるが、日ソ共同宣言はその形式において平和条約と異なつているばかりでなく、その九項前段では、「日本国及びソヴィエト社会主義共和国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。」と規定しているので、日ソ共同宣言自体この後に日ソ間で正式の平和条約が締結せられるべきことを予定しており、更に南千島が平和条約二条C項によつて日本国が放棄した千島列島の中に含まれるかどうかについて国際間、特にソ連邦との間で紛争があり、かつ日本国がソ連邦より南千島の引渡しを受けうるかどうかが日ソ間における最大の懸案事項であつたにもかかわらず、この点について日ソ共同宣言では何もふれるところがなかつたことよりすれば、この点に関する両国間の最終的解決は後日にもちこされたとみるべきであり、しかもソ連邦の南千島に対する占領支配のような根拠に基づき合法的になされたのであり、千島列島の占領と同時にソ連邦の占領下におかれたハボマイ群島およびシコタン島に関し日ソ共同宣言は、九項後段において、「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。」と規定しており、この規定の意味するところは、日本国の側からすれば、ハボマイ群島およびシコタン島は北海道の一部に属しもとより平和条約二条C項で放棄した千島列島に含まれていないから、ソ連邦の戦時占領を解いてその支配権を日本国に移転するということであり、ソ連邦の側からすれば、現在ソ連邦の領土であるが(一九四六年二月四日ロシア共和国が千島列島とともに同国領に編入し、同年二月二〇日ソ連邦最高会議幹部会が同幹部会令をもつてこれを確認しかつその効力を一九四五年九月二〇日に遡及せしめ、更に一九四七年二月二五日ソ連邦の領土とするために連邦憲法二二条の修正が行なわれ、一九四八年三月一三日には同趣旨でロシア共和国憲法一四条の修正が行なわれた。)、日本国に対する特別の配慮から、ハボマイ群島の主権およびシコタン島の主権を日本国に移転するということであつて、いずれにしても、日本国としては、現実の引渡しがなされるまでの間は、従前どおり、これらの地域に対しソ連邦が支配することを認めたものと解されるのであつて、引渡の合意の成立したハボマイ群島およびシコタン島においてすら、ソ連邦から現実に引渡しがなされるまでの間は、日本国の統治権がこれらの地域に及ばないことなどの諸点に徴すると、南千島に対しては、日ソ共同宣言の発効後も従前の状態即ちソ連邦の支配が継続し、日本国は現実に統治権を及ぼしえないものといわざるをえない。

三、そうすると、日本国は南千島の一部であるクナシリ島に対して現実に統治権を行使しえないのであり、漁業法六六条一項所定の漁業に関する一般的禁止は、日本国の統治権が現実に行使しえないところには及ばないのであるから、結局クナシリ島の領海における無許可の同法所定の操業は同法一三八条六号、六六条一項違反罪を構成しないものと解する外はない。

第六結 論

被告人らは、北海道知事の許可を受けないで、ほたて貝を採捕し小型機船底びき網漁業を営んだものであるけれども、これを営んだクナシリ島の領海には日本国の現実に行使しうる統治権が及んでいないから、漁業法六六条一項所定の漁業に関する一般的禁止の効力が被告人らに及んでいるとすることはできない。したがつて、被告人らの各所為は、起訴状に明示された漁業法一三八条六号、六六条一項違反の訴因としては、いずれも罪とならないものであるから、刑事訴訟法三三六条により、被告人ら両名に対し無罪の言渡しをする。よつて主文のとおり判決する。(石川恭 井上隆晴 喜多村治雄)

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